投稿者: akit

17 March 2014

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先週の土曜日は僕が所属していた研究室の内藤明教授が今年度で退職されるので、大学のメインホールで最終講義を行うというイベントがありました。4年生に上がるときに研究室を選ぶことになり、漠然と学部を卒業したらそのまま大学院に進学しようと考えていた僕は内藤先生の研究室を選びました。先生の教えも勿論なのですが、狭いキャンパスの中で小さいながらも一つの独立した建物で大判プリンタや何台ものFlextightやMacに囲まれて、そして朝まで明かりの消えない研究室というのは3年生の僕にとって選ばない理由がありませんでした。以来、研究室で3年、大学院を修了してからも何かとお世話になっている先生の退職記念の最終講義です。その内容はまさに集大成といった様子で、これまで教わってきたことが凝縮されていました。特に、最後に先生が仰った、この写真に写っている光はあの時おふくろがいた、まさにその時の光だ、という言葉に全てが集約されているように感じました(言葉の細部は正確ではないかもしれません)。技術的な話が主体だったのですが、技術的な探求の終着点はやはりそこになるのでしょうか。写真をいじくりまわす僕ですが、かつてそこにあった、というのは写真の善い面の筆頭にあげられることだと考えています。
子供の頃に観た昔のドラマで、しかも僕はリアルタイムで見ていたものではなく、時々やってる感動のドラマランキング的なアレですが、ある家族がいて、台風か何かで洪水が起こって家が流されるという話。その時に一人が家の中にある家族写真のアルバムを取りに行こうとして、周りから必死で止められるのですが、あれこそが家族の証明なんだというような言葉を発していて(書いてて思ったのですが色々とゴチャゴチャになってるかも)。僕も何かの災害などが起きた時に自分の作品のネガより家族写真や記念写真のネガを第一に持ち出そうとするような気がします。そういったセンチメンタルな気持ちと写真の親和性というのは良くも悪くもとても強いのではないでしょうか。生きていく上でセンチメンタルな感情は時々厄介なものだったりするのですが、うまいこと消化して後々笑い話に出来るようになるはず。僕なんかはまだまだ消化不良で夜中とかに叫びたくなることも多くあります。そんなことを書いておきながら、自分が作品を作る上では、センチメンタルなものは排除していこう、という事があります。温度や湿度のようなものを取り入れることに対する反発心があったりするのです。ただ、そういった方向に向いているからまだまだなのかもしれない、という風に最近考えたりしています。そんな中での内藤先生の講義は何十年も写真を研究してきたからこその重みもあるのでしょうが、最後にこれを持ってくるのか、という驚きもあり、とても印象の強いものでした。正直に言えば作品の傾向は先生とは全然違うのですが、だからこそ色々な考えの成り立ちを知りたいという気持ちが強くなるように思います。これまでは技術的な会話を中心にしてきましたが、内面的な話を更にお聞きしたいと思いました。僕なんかがこんな事をいうのもおこがましいのかもしれないのですが。

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色々とやりたいことが多すぎて時間が足りないし眠いしで困ってます。でも今年は本当に動いていくのでよろしくお願いします。

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25 February 2014

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最近葉っぱが友達なんじゃないかと思い始めて来たのでそろそろ別のものを撮りたいです。時間が無いと撮れないというのはただの言い訳でしかないので頑張ります。僕にしては珍しく新しいレンズが欲しくなってきました。

先週の木曜日に友達と飲んできたわけですが文脈とかメタとかそこら辺にあるワードを多分一生分くらい口に出して喋って、結局何も変わらずゲラゲラ笑って終わるという素晴らしい夜でした。酔っ払っているから大きなワードを軸とした部分でしか記憶が残っていないのがとても残念。
その時に見せてもらった季刊誌はなかなか良い感じで作られていて(紙がとても良かった)僕らも何かやりたいという話になって、まずはwebからか、なんてあたりに着地したのだけれど。大学にいる頃からずっと同じような事を言って実現出来ていないから今年こそやりたいわけです。
僕にとっては写真は基本的に一人の作業になるから複数で作り上げていくという広告とかの方面の事はよく分からないのですが、自分だけじゃなくて誰かと一緒に何かをやるというのは多分難しい。そっちの方が楽という人もいると聞いたので驚きなのですが。
なんだかんだ言って僕と小池は結構我の強いところがあるように思うから写真を撮る事に対してじゃなくてwebでも紙でもなんだけど何か作る時に意見をまとめてくれる人がいれば良いな、なんて勝手に考えたけれど。作っていくなら何人がいいのかとか誰を誘うとかそういう具体的な話は全くしてなかった。
やっぱり一人で考えていてもまとまらないし第一承諾を得るのがアレだから打ち合わせという名前のお酒を飲む場が必要だと思いました。
えーと、とりあえずLINEで部屋を作ればいいのかな。サイボウズとかの方がいいでしょうか。
東京で桜が咲くまでには何か一つ形にしたいのですが。

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12 February 2014

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写真というメディアを使って表現をするときにわりとつきまとうのは、真実性みたいな言葉で語られる類の事だと思います。僕は必ずしも写真が真実を写しているとは思っていないのですが、それでも自分が鑑賞者となったときについ気にしてしまうのも事実。どのような文脈で制作、発表されたものなのかということも大きな要素であると思いますが。
自身の制作については、造形や色が現実に目を通して見ているものと異なるとしてもさほど気にしないですし、むしろ自分が見たい像になっているかの方が重要です。だからこそサンプリングの精度が大事になのだと思います。精度が低いとすぐに破綻しますからね。
写真用ではないですが、昨年低価格で映画用のダイナミックレンジの広いカメラが発売されました。
Blackmagic Pocket Cinema Camera
写真のRAW現像ソフトもこういう風に一から色を作りなよっていうスタンスだったら面白い気がするのですが。FlextightでネガからRAWを読み込むとこんな感じですよね。

少し横にそれてしまった。

他のメディアの表現手法を取り込むのは広く行われているように思いますが、写真の場合はどうなのでしょうか。僕は絵画や漫画で光学的な要素を取り込んで描かれたものが多数存在することを知った時に驚きました。というより、あまり意識して見ていなかったですし、それが当たり前のように見ていたように思います。自分の美術表現の知識が浅くわからないことが多いのが時々嫌になりますね。もっとも知識があるからといって良い物が作れるかというとそういうわけではないのですが。少しでも興味がある分野のことに対して専門ではないから、というスタンスは捨てて吸収出来るものは吸収していかないと。自分が見たいものを作りたいときに、的確に早くツールの選択が出来るというのはどれだけ多くのことを知っているかということも大事になります。と同時になぞるばかりではなく頭を使っていかないことには。筋肉と同じで鍛えられるはずですし、、。
毎回終わりには反省ばかりですね。
いつかは自信ある文章が書けるようになるんだろうか。

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9 February 2014

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今日は晴れて雪も溶けかけていて、かといって外に出かける気にもなれずに部屋の中で本を読んだり、昼寝を貪ったりしていました。こういった堕落的な生活から変えていかなくてはいけないとは思うのですが、。

写真について書こうと思いつつやっぱりこれは難しいものです。まずはじめに僕のワークフローとして、最終的にプリントがあったとして、その前段階はほぼ100%デジタル画像です。元のデータはフィルムで撮ったりデジタルカメラで撮ったりとありますが、手焼きをすることは少なく、インクジェットプリント、もしくはラムダプリントやライトジェットと言われるデジタル画像を銀塩のプロセスに乗せたものです。といいつつライトジェットプリントは使ったことがないのですが、。作品を作る際には最終的にどのような素材を使って、どれほどの大きさにするのか、ということがあると思います。僕は先日少し触れたように、大きなサイズにすることを最終的な作品の形態の一つとして考えています。そのようなサイズの写真は近寄って細かなところまで見ることが出来ること、離れて見たときにも視界の中一杯に広がる写真というのは存在感があります。映画館のような大きなスクリーンで映像を観た場合と、タブレット端末などで手元に近づけて映像を観た場合、どちらも同じような視界占有率(このような言葉であってるかな)にしたとしても、迫力では映画館の巨大なスクリーンにかないません。映画館では大きな空間の中で遠くに大きなスクリーンがあるというのを認知しているからなのでしょうか。とにかく、大きなサイズで写真をプリントする場合にはそれ相応のデータが必要になります。dpiという言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、これは1インチの中にどれほどのdotを入れこむのかというようなことで、ppiというスマートフォンで使われる言葉とも似ている部分があります。人間の網膜が識別できる限界の精度、というように言われている解像度があって、これが大体350dpi程度と言われています(見る距離があるので必ずしも一定ではないのですが)。そうして大きなサイズの写真をプリントしようと思った場合、ターゲットの解像度をどこに持っていくのか、ということがあります。大きなサイズの写真は、近くで見るものではないからdpiは低くても構わない、という考えから低解像度でプリントをする人もいるようです。僕は大きなサイズでも可能な限り細かな部分の描写がされていないと気がすまないので400dpiを基準に制作を進めています。そうなると大きなサイズのプリントを作る際には膨大なデータとなります。とても強引ですが、例えば1m四方の作品を400dpiでプリントしようと思ったら、1辺で約15,748ピクセル必要となり、15,748×15,748=247,999,504 約2億5千万画素が必要となります。こうなってくると市販されているデジタルカメラで実現するのはちょっとどころではなく難しくなります。なので、僕は大きなサイズの写真を作る際にはフィルムカメラを使っています。それをスキャンして大きなサイズの画像データとして編集していきます。Flextightというスキャナで最高の解像度(内部処理もしていますが)で読み込むと6×7のフィルムで17,000×14000程度 約2億3千万画素程度のデータになります。それでも足りない場合はPhotoshopに頼って更に大きなデータとしたりすることになるのですが。

技術的な話にばかりなってしまうのが良くないところですね。とにかく、大きなサイズのプリントは見ていて気持ちのいいものです。広い美術館に飾られる大きな絵画。観るというより体感するという方が感覚的に近いと思います。教科書の小さい写真でしか観たことのないような絵画を実際の大きさで観た時に感動するという経験は多くの人にもあるのではないでしょうか。映画の話もしましたが、僕は大きなプリントを作ることで、観るだけではなく、体感する感覚に近づけたいという思いがあります。
小さいプリントがダメというわけではなく、サイズはそれだけで意味を持ってくるように思います。自分が作品を作る上で、どのようなサイズにプリントを行い、どのような加工をして飾るのか、というのはおろそかにしてはいけない部分ではないでしょうか。プリントを額装するにしても、アクリルで圧着してプリントの平面性を高めるとか、アクリル圧着のままで展示し、浮いているように見える効果を狙うなど、他にも様々な方法があります。最終的にどのようなサイズにプリントするか、というのは作品の制作初期段階から頭にいれておかないと、いい写真が撮れたとしても大きく伸ばすことが出来ない、ということになりかねません。特にデジタルカメラは画素数が千万画素という単位のために、大きく伸ばした時にピクセルが見えてしまうことがあります。僕はどうしてもこのピクセルが見えてしまった写真が好きになれません。作品の性質にもよりますが、ブレやピンぼけがあっても大きなプリントには耐えられないことがあります。作品の善し悪しというのはそういったことの外側にあることなのだと思いますが、大きく伸ばしたいのにアラが目立つから伸ばせないという苦い経験は多くあります。
僕は基本的にプリントに無茶をさせることをしないので、大きく伸ばしたいときにはそれなりの精度を求めて、それが無理なら11x14in程度でやめておくというスタンスを取っています。すべての写真が大伸ばしに耐えられるなら良いのですが、まだそこまでの技量がないようです。
もっともそんなに何回も展示をする機会はないので、今はただHDDの肥やしとなっているデータが沢山あります。という感じで自分にも発破をかけて今年も頑張ろうと思います。

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8 February 2014

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今日は雪ですね。
コンビニに出かけるのも少し億劫になってしまうような天気ですが、僕はコンパクトながらも雪だるまを作り、無性に食べたくなったチョコレートアイスを買って、赤いエビスを開けて今こうしてMacの前に座っているわけで、だいぶ満足。ところで赤いエビス美味しいですよね。とても好きなのでもっと多くのお店で売って欲しいですし限定なのはもったいないと思います。

昨日まで出張で3日間愛知県の一宮へ行ってきました。向こうは山おろしと木曽川のアレでえらく寒くて。風がある日は芯まで凍ってしまうような気候でしたが、東京の方も随分冷えていたみたいですね。こんな大雪は16年ぶりとか大層な数字が付けられていますがその当時はこちらに住んでいなかったのでよくわかりません。去年の1月中旬にドカ雪が降って大変だったことを思い出します。
それにしてもなぜ雪というだけでこんなに嬉しくなるんだろう。

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