先週の土曜日は僕が所属していた研究室の内藤明教授が今年度で退職されるので、大学のメインホールで最終講義を行うというイベントがありました。4年生に上がるときに研究室を選ぶことになり、漠然と学部を卒業したらそのまま大学院に進学しようと考えていた僕は内藤先生の研究室を選びました。先生の教えも勿論なのですが、狭いキャンパスの中で小さいながらも一つの独立した建物で大判プリンタや何台ものFlextightやMacに囲まれて、そして朝まで明かりの消えない研究室というのは3年生の僕にとって選ばない理由がありませんでした。以来、研究室で3年、大学院を修了してからも何かとお世話になっている先生の退職記念の最終講義です。その内容はまさに集大成といった様子で、これまで教わってきたことが凝縮されていました。特に、最後に先生が仰った、この写真に写っている光はあの時おふくろがいた、まさにその時の光だ、という言葉に全てが集約されているように感じました(言葉の細部は正確ではないかもしれません)。技術的な話が主体だったのですが、技術的な探求の終着点はやはりそこになるのでしょうか。写真をいじくりまわす僕ですが、かつてそこにあった、というのは写真の善い面の筆頭にあげられることだと考えています。
子供の頃に観た昔のドラマで、しかも僕はリアルタイムで見ていたものではなく、時々やってる感動のドラマランキング的なアレですが、ある家族がいて、台風か何かで洪水が起こって家が流されるという話。その時に一人が家の中にある家族写真のアルバムを取りに行こうとして、周りから必死で止められるのですが、あれこそが家族の証明なんだというような言葉を発していて(書いてて思ったのですが色々とゴチャゴチャになってるかも)。僕も何かの災害などが起きた時に自分の作品のネガより家族写真や記念写真のネガを第一に持ち出そうとするような気がします。そういったセンチメンタルな気持ちと写真の親和性というのは良くも悪くもとても強いのではないでしょうか。生きていく上でセンチメンタルな感情は時々厄介なものだったりするのですが、うまいこと消化して後々笑い話に出来るようになるはず。僕なんかはまだまだ消化不良で夜中とかに叫びたくなることも多くあります。そんなことを書いておきながら、自分が作品を作る上では、センチメンタルなものは排除していこう、という事があります。温度や湿度のようなものを取り入れることに対する反発心があったりするのです。ただ、そういった方向に向いているからまだまだなのかもしれない、という風に最近考えたりしています。そんな中での内藤先生の講義は何十年も写真を研究してきたからこその重みもあるのでしょうが、最後にこれを持ってくるのか、という驚きもあり、とても印象の強いものでした。正直に言えば作品の傾向は先生とは全然違うのですが、だからこそ色々な考えの成り立ちを知りたいという気持ちが強くなるように思います。これまでは技術的な会話を中心にしてきましたが、内面的な話を更にお聞きしたいと思いました。僕なんかがこんな事をいうのもおこがましいのかもしれないのですが。
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色々とやりたいことが多すぎて時間が足りないし眠いしで困ってます。でも今年は本当に動いていくのでよろしくお願いします。
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