新しいドメインを取得しました。
akifumi.info
Tumblrでこんなにも簡単に、しかも無料で独自ドメインを使えるなんて。ずっと前に作って放置していたTumblrですが今回実験のために再利用。とにかく今は友達とやろうという話になった同人活動を前に進めたくて。以前のエントリで桜の咲くころには、なんて話をしましたが案の定すでに散り始めています。いつもどおり、平常運転。
カテゴリー: photo
26 March 2014
雨だとしても冬の間よりは外に出ても良いかなと思えるようになってきました。今日は午後から雨が降るから折り畳み傘を持って出かけてくださいと朝のニュースで気象予報士が言っていたけれど、雨は降らなかった。両手をフリーにしておきたい僕にとっては、雨は苦手です。それでも雨に濡れて色の濃くなった外の景色を見るのは好きなので、気分が良い時は散歩するのだけれど。
なぜだか今週はいつもより疲れが溜まるのが早いというか水曜日なのに木曜日のような気分になってしまった。先週、先々週と3連休だったから身体がそのリズムを覚えてしまったのだと思う。なので明日はいつもよりヘビーな木曜日を乗り切って心待ちにしている週末を迎え、再びいつも通りの平日に備えるのです。
ところで、そろそろ桜の咲く季節になり、職場では植えられた八重桜が満開を通りすぎようとしています。僕はいつもこういう季節の移り変わりに疎くて、ああ、そろそろこんな季節か、なんて思った頃にはそのシーズンも最盛期を過ぎようとしていて、気付いてから一日二日で終わりを迎えることが多かったりします。そういうのはちょっと人生を損しているような気もするのですが、考えてみると長い間宮城に住んでいた僕は東京に来てから何年経っても季節感が1ヶ月近くずれているようにも思います。未だに天気予報は仙台の項目を見てしまいますし。電車の発車メロディーにはだいぶ慣れてきたけれど、時々ふと小さな頃に毎年母親に連れられて4月初めの東京に来ていたことを思い出します。その時期の宮城はまだ寒く、東京駅のホームに降りた瞬間に、その暖かさに東京に来たということを肌で感じるのです。こんな感傷的なことを書いてしまうのはまさにそのシーズンを迎えようとしているから。毎年この時期はそわそわしてしまいます。良くも悪くも。
17 March 2014
先週の土曜日は僕が所属していた研究室の内藤明教授が今年度で退職されるので、大学のメインホールで最終講義を行うというイベントがありました。4年生に上がるときに研究室を選ぶことになり、漠然と学部を卒業したらそのまま大学院に進学しようと考えていた僕は内藤先生の研究室を選びました。先生の教えも勿論なのですが、狭いキャンパスの中で小さいながらも一つの独立した建物で大判プリンタや何台ものFlextightやMacに囲まれて、そして朝まで明かりの消えない研究室というのは3年生の僕にとって選ばない理由がありませんでした。以来、研究室で3年、大学院を修了してからも何かとお世話になっている先生の退職記念の最終講義です。その内容はまさに集大成といった様子で、これまで教わってきたことが凝縮されていました。特に、最後に先生が仰った、この写真に写っている光はあの時おふくろがいた、まさにその時の光だ、という言葉に全てが集約されているように感じました(言葉の細部は正確ではないかもしれません)。技術的な話が主体だったのですが、技術的な探求の終着点はやはりそこになるのでしょうか。写真をいじくりまわす僕ですが、かつてそこにあった、というのは写真の善い面の筆頭にあげられることだと考えています。
子供の頃に観た昔のドラマで、しかも僕はリアルタイムで見ていたものではなく、時々やってる感動のドラマランキング的なアレですが、ある家族がいて、台風か何かで洪水が起こって家が流されるという話。その時に一人が家の中にある家族写真のアルバムを取りに行こうとして、周りから必死で止められるのですが、あれこそが家族の証明なんだというような言葉を発していて(書いてて思ったのですが色々とゴチャゴチャになってるかも)。僕も何かの災害などが起きた時に自分の作品のネガより家族写真や記念写真のネガを第一に持ち出そうとするような気がします。そういったセンチメンタルな気持ちと写真の親和性というのは良くも悪くもとても強いのではないでしょうか。生きていく上でセンチメンタルな感情は時々厄介なものだったりするのですが、うまいこと消化して後々笑い話に出来るようになるはず。僕なんかはまだまだ消化不良で夜中とかに叫びたくなることも多くあります。そんなことを書いておきながら、自分が作品を作る上では、センチメンタルなものは排除していこう、という事があります。温度や湿度のようなものを取り入れることに対する反発心があったりするのです。ただ、そういった方向に向いているからまだまだなのかもしれない、という風に最近考えたりしています。そんな中での内藤先生の講義は何十年も写真を研究してきたからこその重みもあるのでしょうが、最後にこれを持ってくるのか、という驚きもあり、とても印象の強いものでした。正直に言えば作品の傾向は先生とは全然違うのですが、だからこそ色々な考えの成り立ちを知りたいという気持ちが強くなるように思います。これまでは技術的な会話を中心にしてきましたが、内面的な話を更にお聞きしたいと思いました。僕なんかがこんな事をいうのもおこがましいのかもしれないのですが。
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色々とやりたいことが多すぎて時間が足りないし眠いしで困ってます。でも今年は本当に動いていくのでよろしくお願いします。
25 February 2014
最近葉っぱが友達なんじゃないかと思い始めて来たのでそろそろ別のものを撮りたいです。時間が無いと撮れないというのはただの言い訳でしかないので頑張ります。僕にしては珍しく新しいレンズが欲しくなってきました。
先週の木曜日に友達と飲んできたわけですが文脈とかメタとかそこら辺にあるワードを多分一生分くらい口に出して喋って、結局何も変わらずゲラゲラ笑って終わるという素晴らしい夜でした。酔っ払っているから大きなワードを軸とした部分でしか記憶が残っていないのがとても残念。
その時に見せてもらった季刊誌はなかなか良い感じで作られていて(紙がとても良かった)僕らも何かやりたいという話になって、まずはwebからか、なんてあたりに着地したのだけれど。大学にいる頃からずっと同じような事を言って実現出来ていないから今年こそやりたいわけです。
僕にとっては写真は基本的に一人の作業になるから複数で作り上げていくという広告とかの方面の事はよく分からないのですが、自分だけじゃなくて誰かと一緒に何かをやるというのは多分難しい。そっちの方が楽という人もいると聞いたので驚きなのですが。
なんだかんだ言って僕と小池は結構我の強いところがあるように思うから写真を撮る事に対してじゃなくてwebでも紙でもなんだけど何か作る時に意見をまとめてくれる人がいれば良いな、なんて勝手に考えたけれど。作っていくなら何人がいいのかとか誰を誘うとかそういう具体的な話は全くしてなかった。
やっぱり一人で考えていてもまとまらないし第一承諾を得るのがアレだから打ち合わせという名前のお酒を飲む場が必要だと思いました。
えーと、とりあえずLINEで部屋を作ればいいのかな。サイボウズとかの方がいいでしょうか。
東京で桜が咲くまでには何か一つ形にしたいのですが。
12 February 2014
写真というメディアを使って表現をするときにわりとつきまとうのは、真実性みたいな言葉で語られる類の事だと思います。僕は必ずしも写真が真実を写しているとは思っていないのですが、それでも自分が鑑賞者となったときについ気にしてしまうのも事実。どのような文脈で制作、発表されたものなのかということも大きな要素であると思いますが。
自身の制作については、造形や色が現実に目を通して見ているものと異なるとしてもさほど気にしないですし、むしろ自分が見たい像になっているかの方が重要です。だからこそサンプリングの精度が大事になのだと思います。精度が低いとすぐに破綻しますからね。
写真用ではないですが、昨年低価格で映画用のダイナミックレンジの広いカメラが発売されました。
Blackmagic Pocket Cinema Camera
写真のRAW現像ソフトもこういう風に一から色を作りなよっていうスタンスだったら面白い気がするのですが。FlextightでネガからRAWを読み込むとこんな感じですよね。
少し横にそれてしまった。
他のメディアの表現手法を取り込むのは広く行われているように思いますが、写真の場合はどうなのでしょうか。僕は絵画や漫画で光学的な要素を取り込んで描かれたものが多数存在することを知った時に驚きました。というより、あまり意識して見ていなかったですし、それが当たり前のように見ていたように思います。自分の美術表現の知識が浅くわからないことが多いのが時々嫌になりますね。もっとも知識があるからといって良い物が作れるかというとそういうわけではないのですが。少しでも興味がある分野のことに対して専門ではないから、というスタンスは捨てて吸収出来るものは吸収していかないと。自分が見たいものを作りたいときに、的確に早くツールの選択が出来るというのはどれだけ多くのことを知っているかということも大事になります。と同時になぞるばかりではなく頭を使っていかないことには。筋肉と同じで鍛えられるはずですし、、。
毎回終わりには反省ばかりですね。
いつかは自信ある文章が書けるようになるんだろうか。